ミャンマー

Myanmar -Jottings

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(2000 年10月)

1. Myanmarには タイ北部の国境とか雲南省の国境より 日帰りで入ったことがあるが、 空路Yangonに入ったのは1999年11月が初めて。 雲南省産の肥料の売込み、及び中国のContractorがMyanmarで工事中の水力発電所案件で使う 建設機械の件で出張した。 雲南省の肥料は既にブランドがMyanmar
Marketに受け入れられている。

2. Myanmarの北半分は雲南省出身の華僑が多く,雲南省からの投資も多い。農機やトラックも中国よりの輸出が多い。 一方南半分は福建省出身の華僑が多いので、Singaporの投資が多いのはその為かもしれない。

3. 雲南省との国境の山には松茸が取れるが,陸路雲南省に運ばれ,雲南松茸として日本向けに出荷されている。  国境地帯の少数民族 カチン族は 雲南省のジンポー族と同じで親類も多い。
 国境は 小川が国境だったり 道に国名が表裏に書かれてある石が置いてあるだけのところも多く、村を横切って国境線となっているところもある。

4. Golf場には球ひろいのCaddieがいて、球をフェアウエイに出して草をつまんでその上にボールを置いてくれる(パゴダショットと言うらしい)。 軍人優先で朝早く1人で回っている軍人に対してはコースを譲らねばならない由。

5. 案内してくれた日本領額経験のあるミャンマー人に、ファッションモデルのグループを紹介すると言われたが、スケジュールの都合で実現せず。 今でも心残り?

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ウ・オッタマ僧正(ビルマ独立の父) http://sinzitusikan.iza.ne.jp/blog/entry/531557/

 ウ・オッタマ僧正は若いころイギリスに留学して、帰国後、抗英独立運動を唱えて投獄された。 出所後、小国日本が、超大国ロシアに、日露戦争に勝ったことに感動し、1907年(明治40)、来日して全国を巡行した。

 まず京都・浄土真宗本願寺の探検家でもあった大谷光瑞を訪ね、そこから東京まで各界の人たちに接しようと、東京まで歩く予定でいた。たまたま名古屋で大きな葬式に出あった。オッタマにとって日本の葬式は珍しいので、門の前でじっと様子を眺めていると、家人がカーキ色の法衣をまとった旅僧のオッタマを見つけ、ありがたそうに、お経のひとつでも上げてもらえれば、功徳になると、丁重に家に招きいれた。

 この家の当主は、オッタマに魅せられ、家に引きとめ、オッタマは何日も滞在した。この当主こそ、松坂屋伊藤次郎左衛門だった。伊藤次郎左衛門は名古屋の豪商である。オッタマを3年間、面倒を見て、妹まで日本に呼んだ。伊藤次郎左衛門はオッタマを精神的にも、経済的にも支援した。オッタマはその間、日本を学び、東大で仏教哲学も教えた。当時のビルマはイギリスの植民地。オッタマはその独立のために日本で学んだ。

 第2次世界大戦後、独立を果たしたビルマはその後、ミャンマーとなったが、鎖国のような状態でも、伊藤家への恩義を忘れず、関係者は入国するのも容易な手続きですむという。ビルマのオッタマ僧を支援

 そしてその得た結論を『日本』という著書に集約した。その中で「日本の興隆と戦勝の真因は明治天皇を中心にして青年が団結して起ったからである。われわれも仏陀の教えを中心に青年が団結、決起すれば、必ず独立を勝ち取ることができる。」「長年のイギリスの桎梏(しっこく)からのがれるには、日本にたよる以外に道はない」と主張した。この著書が、独立を志向するビルマ青年のバイブルとなり、1930年に「タキン党」(われらビルマ人党)が、結成された。「タキン党」で学生運動のリーダーとして活躍したのがアウン・サンやウ・ヌーらである。後年、タキン党の青年志士30人が、密出国して海南島や台湾で日本式軍事訓練を受け、大東亜戦争を日本軍と共に戦い、遂に独立を果たした。その主導者がアウン・サンで、スーチー女史は、このアウン・サンの娘なのだ。

 オッタマは何度も投獄、出獄を繰り返し、ついに1939年に獄死、牢で生涯を終えた。僧正の死後ラングーンに開設された「オッタマ日本語学校」は、ビルマにおける日本語普及の魁となった。ウ・オッタマ僧正はビルマ 独立の父である。

ウ・オッタマ僧正は、日本隆盛の源を、喝破したのだ。

 倒幕の志士高杉晋作上海の見聞記録「中国人はほとんどが外国人の召使のようだ。英仏の人が街を歩けば、中国人の人は傍によって道を譲る。上海は中国の領土だが、英仏の植民地とも言える」と記されている。

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