マレーシア クアラルンプール

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Jottings

(200010)

1. マレーシアクアラルンプールにはちょうど1975年にマレーの鉄鉱石の日本向け最終船が出た後に鉄鋼部門出身の初代駐在員として赴任し、鉄鋼、非鉄、鉄鋼原料、繊維部門の担当となった。  時代にも恵まれ、年目より年商200300億円を達成し、日本人駐在員の数も増やしてもらえ、1982年迄駐在した。 当時の現地スタッフは今でも残っていてゴルフも始めた由。

2.
赴任当時、在留邦人の数は少なく、日本料理店も軒目が出来たばかりだった。 赴任当時の首相は第二代のトゥンク ラザク氏で、次にダト フセインオン首相となり、その後マハティール首相になった。 マハテイール長期政権の始まりと同時期に駐在していたことになる。

3. 19
世紀に英人がオープンした Royal Selangor Golf Club(セランゴール)の個人会員には年間待たされようやくなれた。 今でも会員権を保持しているので、老後はKuala Lumpurでゴルフ三昧も可能。 当時はFull Memberではなかった為、土日のPlayに制限があったので、標高1000mの山の上にあるゲンチンハイランド経営山岳コースに行くことが多かった。 更に1500m迄登るとGenting Highlandというカジノがある。  10数年後 Cambodia カジノで このゲンティンハイランドより出向して来たマレーシア人に会った。

4. Kuala Lumpur
の華僑は広東人が多く、広東語が広く話されていたが、鉄鋼関係の客先は福建人が多かった。  当時の中国系の人は広東語、英語(シングリッシュ?)、マレー語をまぜこぜに話している人が多かった。 都市部では英語が比較的通じるので、駐在員でマレー語を話せる人は殆ど居なかった。

5.
取引先の鉄鋼問屋のオヤジさん達も福建省出身が多く、酒が好きで、“No Drink No Business ”とか言ってブランデー(XO)の水割りで乾杯させられた。 1人でブランデー1本は空けねばならないが、体質的に酒に強かったので受けて立った。 酔いつぶれた事は一度もなかった。  学生時代に一度だけ記憶を失ったことがあり、その時介抱してくれた人の足を骨折させてしまったことがある。  今でも申し訳無く思っており、それ以来、限度を超えて飲んだことは無い。

6.
マレー半島東側の クアンタン - トレンガヌ 間の海岸では 海亀の産卵が見られる。 マンガン鉱石やSheet Pile の件で何度が出張したが、更に北に行ったコタバルに旧日本陸軍の銀輪部隊 が上陸した海岸がある。 ハリマオの生家は見学の機会が無かった。 当時 Offshore で石油ガス開発 が始まったばかりで OCTG (Oil Countries Tubular Goods, viz. Casing, Drill Pipe, etc.)Line PipeEXXONやSHELL向け等に多く納入した。

7. SHELL
向けの 石油ガス開発用Pipeの商談等で、Sarawakのミリ、 ビンツル やSabahのコタキナバル、ラブアン島 及びブルネイにもたびたび行った。 海岸にあるシーフードレストランで囲んだ鍋が懐かしい。 サンダカンまで足をのばせばオランウータンと手をつないで遊べる所があるらしいが、とうとう行けなかった。

8. 1981
Malaysia北部のペルリス州 のサルタンの長男(現在の国王陛下)より 亜鉛鉄板工場合弁事業の話があり、東京からの出張者とマーケット調査に行った際、現地の将校とともに パスポートなしで 陸路 タイに入ることになった。 タイ に入ると急に道が悪くなり、マレー人の村落も散見された。  当時はマラヤ共産党系のゲリラもいたので軍人が同乗してくれたもの。  結局この案件はなくなったが、調査中に話が来たSarawak州 クチンの合弁案件が実現し、現在生産Lineも増え稼動している。

9.
帰国の年1982年の前年末にSabah Gas Project と言うラブアン島沖 のOffshoreのガス田開発の ProjectFull Turn Keyで仕込み、9月に、530億円でNKK及びB&Rと組み"後ズケ円借" で逆転受注 (現在価値、NPVによるEvaluation) したのが、Malaysiaでの最後の思い出となっている。 1988年頃から日本政府は何故か外国企業(第三国)が受注した案件にも積極的に円借をつけだしだ (こんなことをする国は日本だけ)。

10. 1981年末、7年近く駐在したマレーシアのクアラルンプールから帰国する年の前年、当時現地の一流紙にも毎週執筆していたラジパールという占星術と手相を能くする有名なインド人占い師(菜食主義者)がいて、筆者の一生を1時間以上もかけて観てくれた。 録音テープにもその詳細にわたるご託宣を残してあるが、今から振り返ってもほとんどぴたりと当たっていて、筆者は運命論者になりそう。 占いとは不思議なもので、その後、バンコク、プノンペン、香港、東京、ニューデリー、ロンドン等で何人かの占い師(生年月日時で判断したり、手相をみたり、カードを使ったり様々)にも度々観てもらったが、何故か、ご託宣の内容はほとんど同じ。 "禍福は糾える縄の如し"は7年周期? 

マレー語講座: 人はオラン、飯はナシ、菓子はクエン、死ぬのはマティ

ゴルフ場でグリーンにオンしたら: カナンキリトゥルースマソ (Taxiでも使用可)

 

Penang:
2003年末、25年ぶりにペナンに行った。 バンコクから鉄道で Kuala Lumpur に行きたかったが、席が取れなかったので、欧米の若者達と一緒に、陸路 Penang に行くことにした。
これが大変な旅で、カオサンの Sawasdee Khaosan Inn でさんざん待たされ、夜行バスが夜7時出発、途中乗継して、Hat Yai に着いたのが翌日の11時。 Malinja Holidays & Tour という代理店を訪ね、12時にペナン行きミニバスに乗った。 Penang の Budget Hotel が並んでいる Chulia Street にある代理店 N.J.Books Centre というインド人の事務所に着いたのが午後5時だった(時差1時間)。 
ペナンは人口400万人の内、華僑が60%、印僑が10%を占めている。 IT関連の工業団地が空港の近くに出来ていた。
E&O Hotel、Golden Sand、ラササヤンや蛇寺は懐かしかった。
帰りは、12時に出発。 Penang Bridgeを渡り、Hat Yai に3時に到着後、飛行機でバンコクに戻ったので楽だった。

下記ご参考まで:

http://park5.wakwak.com/~kcy/malaysia5.html

http://www004.upp.so-net.ne.jp/fujisan/cameron1.htm

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